そうであれば、私自身、私の責任は私。少なくとも、「これだけ」でも復興しないといけないと思い始めた。社会的な地位、そこそこの高給。これを、お前の年で失うのか? 正直、こわい。しかし、今しなければ、いつ、お前は戻れるのだ、初心に、とも同時に思った。そして、戻る。赤貧と引き換えに自由な時間ができた。時間ができたのならば、次の局面は自由についての考察だろう。単に時間がある。そうではないだろう、時間があることと自由は別のもの。
お前は何をしたいのだ? 十四歳の時の答え。ジャズピアニスト。以上だろう。
還暦が近い男がまだつっぱる糞真面目ともいえるしかしこの気骨反骨が折れた時こそ私の終焉なのだと思う脳死なのだこれだけは避けたいとつっぱるそして多忙余生を自分で構築する美術詩小説ブログジャズすべてをやっちまえと思う始めなければ次の局面はこないのは当然である異常なピカソ的エネルギーはなんていうセコイはなしではないのだ少なくとも私自身が復興しないといけないとしみじみと思うそれはないからこそそうしないといけない世間という謎の物体と乖離するしかないのだろうなと思うそんなものに関わる時間はないのだ。
そして、三月十一日は息子の誕生日なのだ。この引き裂かれた状態が、たぶん、私の宿命なのだろう。
本当に偶然なのだけれど、この記事というのか、私のブログの総あとがきが公開記事1,000番目。削除したもの未発表分を入れると1,200ぐらいのはずだ。前回の記事で、これまた、ぴったり三年半が径過している。この筆力に自分で驚く。この記事を含めて、電子書籍にする。これで、私のブログは開店したまま閉鎖とすることにした。そのまま放置することにした。なんかの切っ掛けで読んで頂けるならば幸いです。ブログ村も、そのままにする。本当に僭越なのだけれど、ブログ村は私は大好きだし、エッセイ部門も、ほとんど愛している。600人強の参加者の方がいる。とりわけ、お若い方々の目に、私の愚ブログが目に留まってほしいという感じがある。ユニークとか異色とか、えっ、くだらねぇーとか色々のリアクションが沸き起これば、それはそれでおもしろい。還暦の近い親父のブログなのだ。
こういうベクトルもあるという反面教師になれば幸甚です。ブログは、本当に楽しかった。諸々の物を書くという可能性の考察、および、書く訓練になった。そして、私の根源的な何物かに、その訓練が抵触し始めた。そうなると、書く場所としての違和感が酷くなってきた。もう、諸に書いてしまう。まあ、まだ長い長い人生。ピアノと料理と草毟りだけでは、埋め切れない。リムジーンドライバーやっても埋まらない。そうなると、強力な助っ人というのか、暇潰しの極北、「文学」というおそろしい世界の探検探索散歩破壊再構築というむらむらむらぁーとした野心が込み上げて来たのである。三振空振りであっても構わない。そう、打席にだけでも立ったろうと思った。すでに、サハラ砂漠のど真ん中で、小説と敢えていうのだけれど、十一作目の執筆を開始した。
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